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山嵐黒虎

Category : ラーメン |

札幌狸小路横にあるお店です。
平岸の名店「山嵐」の支店です。
数年前のライジングサンにもまぜそばで出店してましたね。

カウンターのみ、注文は券売機で食券を購入します。
店内はレッチリがかかってます。ていうか何回行ってもレッチリがかかってる気がするんですが気のせいでしょうか。

くろとら

写真は黒(750円)

スープを一口「カオス」

色々入ってるんだけど何が入ってるのかよくわからない、しかし非常にうまいスープです。
ドロっとしたとろみ、背脂、動物臭あたりのまではわかるんですが混在度が高くてあれこれ考えたくなる味です。

ここに醤油のタレがしっかり効いてて味に芯を通してるから散漫な印象が無いのでしょう。

薬味のタマネギと青ネギの辛味もこのスープの良さを引き立てています。
ていうかこれが無いとくどくて成立しないでしょう。

麺はあまり印象に残ってないです。太めだったかな?それくらいスープの存在感がすごく、それを食べさせるための麺だと私は捉えました。

店内でレッチリがかかってるせいかどうしても「ミクスチャー」という言葉が浮かびますが、前回の記事とは意味合いが変わってきます。

こちらは最初から表現したい味がイメージとしてあって、それを再現した結果このような混沌に身を投じる事になったのではないかと。これってものすごくレッチリですよね。

普通のミクスチャーロックにありがちな迷走感が無い。

「とりあえず美味けりゃそれでいい」という妥協感も無い。
やりたい事をしっかりやって結果を出す。
だから支持され、ひとつの地位を確立できるのではないのか、と思うのです。
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麓郷舎流 らーめんや五郎

Category : ラーメン |

2ヶ月ぶりの更新です。みなさんあけましておめでとうございます。
一度書くのがおっくうになるとえらく筆が重くなるもんです。
マイペースですがちょこちょこ書き進めていきます。

札幌新道沿いにわりとひっそり気味にたたずむお店です。
麓郷舎の支店的な扱いでしょうか。

麓郷って富良野の麓郷なわけで五郎は富良野の五郎なのでしょうか。
目の前に置かれたメニュー表
ろくごうごろうしゃしん
間違いないですね。写真のチョイスは素晴らしい。

ろくごうごろう
写真は「おらん家のらーめん」醤油です。
健康に気を使って野菜増しにしました。
メニューの文字が五郎さんの表情ばりに崩れて読めずに指差しオーダーしました。

見事なもやしタワーです。もうみっちみちです。
茹で加減もしゃっきしゃきで間違いなくこぼれます。
これはやる気出ます。

しばらく食べ進んでもやしの隙間に湧き出たスープを一口「豚骨醤油」
ものすごくベーシックな豚骨醤油です。適度に美味く、適度に臭みがあり、中毒性のある味。
この系統独特の尖った塩分は控えめです。千歳の「まるみつ」よりもカドが無いかも。

麺は太めの縮れたタイプです。茹で加減もちょい固めで食べきる頃まで伸びずに食べられます。
ただ麺そのものの密度が濃いので食べきるのは結構キツいです。でもデロデロよりは良いかも。

チャーシューは、なんつーか、巨大です。味付けも結構濃いめです。
食い応えは抜群です。飽きる人も多いでしょうね。

これらの強豪パーツをワッシワッシと食べ進むわけです。

しかし途中で何度も我にかえって「俺なにやってんだ…」と素で冷める事もありました。
なんというか、食べやすい反面、心を全て奪い去っていくような、ドリーミーな一体感が足りないような気がします。
やはりあのスープはもっと尖っていた方が全体をまとめ上げるのではないのかと。

これはこの系統のラーメンが土壌の無いこの土地で市民権を得る為の通過儀礼というか、おいしい要素、スタイルだけを持ち込んでヒットさせようとした事に対しての代償なのではないかと。


一時色んな音楽を掛け合わせた「ミクスチャーロック」なる音楽がシーンを席巻した事がありました。しかしそれほどの進化も遂げず、市民権も得ず、現在はそういう名前のジャンルがひっそりと存在しています。

彼らは美味しい音楽の美味しい所(例えば黒人音楽のリズム、ハードロックのギター、ラップ)だけを切り貼りして演奏する事によって目新しい音楽を作り出しました。

この方法論は誰もが革新的だと感心し、多くのミュージシャンが飛びつきました。しかしそのほとんどが淘汰されました。(皮肉にも「ミクスチャー」という音楽ジャンルが出来上がってしまった)何故でしょう。

彼らは「美味しそうな」部分だけを切り貼りする事に没頭してしまい、「本当に美味しい」部分を抽出しないまま音楽を作り出していたのではないかと。
肉ばかり食べて、内蔵や骨の中心の骨髄の旨味を知らない人のように。

リスナーは「本物」の旨味を理解しないまでも、かつて体感している。だから切り貼りしただけの音楽では物足りない。
演奏する側も方法論に没頭するあまり、「あの旨味」を再現できない。
そんな空回りがミクスチャーを低迷させたのではないのかと思うのです。

そしてこのラーメンにも似たような物を感じるのです。うまい事はうまいけど夢中にはなれない。
それはバラバラに見れば地味でマイナスにも思える部分だけど全体を覆う要素としては外せない。
そこが欠けたまま出されているのではないのかと。

美味いもの全てに歴史が必要だとは思いません。ましてやラーメンは最たる物でしょう。
しかし二郎のように客と店が長年かけて作り上げた味を他所の土地にそのまま持ち込み、切り貼りして新しい何かを作り出すのは非常に困難なのではないのかと思うのです。
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